2016年6月2日木曜日

【ちょっと考えてみた】 傲慢であること。

幾ら支援者である自分が、この人の傍に居て苦しみを少しでも和らげたいな、
と思ってもその思いすら傲慢なんだよな。
究極、苦しみを和らげるのは、その人にしか出来ないから。
せいぜい見守って、何かSOSが出されたらその時に動く仕方ない。

まぁ、SOSが上手く出せない人も居るから、
一方ではアウトリーチが必要なんだけど。
アウトリーチして、本人の真の問題が見つかったら、やっぱり本人に任せるしかない。
傍で見守って居るしかない。

勝手にこちら側からこれなら解決するからこれやりなさい、は一種暴力だよね。
待つ、会話から引き出す、そんな力を高めないとあかんのだが、
つい、身内認定する人にはそれが出来なくて…はぁ。

身内認定した人には、言わなくても分かっよー!と甘えていたんだが、
分かるわけ無いってね。

最近、母とも言いたいことを言うようになってきたし(大体は仕事関係)
友人やカウンセラーと、今まで抑圧してきたこてを表現出来るようになってきた。

あとは、余計なお世話精神というか、変な風な我慢の仕方をどうにかしないとなぁ…。
基本は私が我慢して相手が気持はいいならガマンします、な回路だったり、
反対に、相手の為を思ってやったつもりが相手の迷惑だったとかね。
距離の取り方の問題が。

で、私は相手のことを思ってガマンしたのにーと思って、
ある程度まで行くと勝手に怒りが爆発するんだよね…。
その時に言えよって話し何だけどね。

怒りを感じたその時に相手に怒りを感じでますと言えないのをどうにかしてかなきゃ、
この先困るもんな。

あと、目の前の困ってる人をとにかく助けたい!だけじゃ無理な場合も多いし。 
最悪、相手には暴力でしか無かったりする。

もっと、身のある対話が出来るようにならなきゃ…。
本当に他人ならできるんだけど、大切な友人関係になると出来なくなるきらいがある。

だけど、大切な友人関係だからこそ、嫌われるのを恐れず自分の伝えたいことを伝えよう。
また、相手が伝えてきたことを尊重しよう。

今まで10か0 嫌われないか、嫌われたか、な思考しかしなかったけど、
こんな私の友達で居てくれるんだから、0じゃないよね。
友達を信頼しなさ過ぎ。

この部分は意見が違うけど、だから友達じゃない、じゃないんだよね。
友達と言うより、自分の分身を求めていただけかも。

相手は他人だもん。違って当然。
ここは自分の考え方に近い、ここは違う、て全然いいわけだ。
で、違う所を話してすりあわせ出来たらいいし、出来なかったから友達じゃない、じゃない。
43にしてやっと気付くとは遅すぎだな。

これは、ワーカーとしての自分の弱点でもあるんだよねぇ・・・。
ある程度、どんな人にも冷静に接していかないといけないんだけど。
冷静に、でもマニュアル通りとかじゃなく、
その人の置かれた状態に応じてオーダーメイドな支援をしないといけない。
それは、熱意が無いと。冷静さと熱意のバランスか…。
難しいな。

でも、究極は友人関係が冷静さと熱意のバランスが必要とされるわけだから、
そこで、勉強させて貰うしかない。

まぁ、こんな人間でも頼ってくれる人はいるし、個人的な一緒にやりたい人もたくさん居るからな。
頼ってくれる人には、側面からそっと支えていきたいし、
私のことを頼りたいけど頼れない人という奇特な人がいたら、私はカモーンだし。
一緒にやりたい人達には、少しづつ信頼されるような人間ならないとな。
まだまだ修行だ。

死ぬときに、素敵な仲間たちに囲まれて死にたい。
私が心から信頼し、尊敬した人達に。
それにはまず、自分が人に尊敬されなくても、信頼して貰える人にならないと…。
道は遠い…。